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高野聖その251
実《じつ》を申《まを》すと此処《こゝ》へ来《く》る途中《とちう》でも其《そ》の事《こと》ばかり考《かんが》へる、蛇《へび》の橋《はし》も幸《さいはひ》になし、蛭《ひる》の林《はやし》もなかつたが、道《みち》が難渋《なんじふ》なにつけても汗《あせ》が流《なが》れて心持《こゝろもち》が悪《わる》いにつけても、今更《いまさら》行脚《あんぎや》も詰《つま》らない。紫《むらさき》の袈裟《けさ》をかけて、七|堂伽藍《だうがらん》に住《す》んだ処《ところ》で何程《なにほど》のこともあるまい、活仏様《いきほとけさま》ぢやといふてわあ/\拝《おが》まれゝば人《ひと》いきれで胸《むね》が悪《わる》くなるばかりか。
些《ち》とお話《はなし》もいかゞぢやから、前刻《さツき》はことを分《わ》けていひませなんだが、昨夜《ゆふべ》も白痴《ばか》を寝《ね》かしつけると、婦人《をんな》が又《また》炉《ろ》のある処《ところ》へやつて来《き》て、世《よ》の中《なか》へ苦労《くらう》をして出《で》やうより、夏《なつ》は涼《すゞ》しく、冬《ふゆ》は暖《あたゝか》い、此《こ》の流《ながれ》と一|所《しよ》に私《わたし》の傍《そば》においでなさいといふてくれるし、まだ/\其《それ》ばかりでは自身《じぶん》に魔《ま》が魅《さ》したやうぢやけれども、こゝに我身《わがみ》で我身《わがみ》に言訳《いひわけ》が出来《でき》るといふのは、頻《しきり》に婦人《をんな》が不便《ふびん》でならぬ、深山《しんざん》の孤家《ひとつや》に白痴《ばか》の伽《とぎ》をして言葉《ことば》も通《つう》ぜず、日《ひ》を経《ふ》るに従《したが》ふてものをいふことさへ忘《わす》れるやうな気《き》がするといふは何《なん》たる事《こと》!
作品:高野聖
作者:泉鏡太郎
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底本:「新編 泉 鏡花集 第八巻」岩波書店
2004(平成16)年1月7日第1刷発行
底本の親本:「高野聖」左久良書房
1908(明治41)年2月20日
初出:「新小説 第五年第三巻」春陽堂
1900(明治33)年2月1日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:砂場清隆
校正:門田裕志
2007年2月12日作成
青空文庫作成ファイル:
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