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高野聖その14
寐《ね》る時《とき》、上人《しやうにん》は帯《おび》を解《と》かぬ、勿論《もちろん》衣服《きもの》も脱《ぬ》がぬ、着《き》たまゝ丸《まる》くなつて俯向形《うつむきなり》に腰《こし》からすつぽりと入《はい》つて、肩《かた》に夜具《やぐ》の袖《そで》を掛《か》けると手《て》を突《つ》いて畏《かしこま》つた、其《そ》の様子《やうす》は我々《われ/\》と反対《はんたい》で、顔《かほ》に枕《まくら》をするのである。程《ほど》なく寂然《ひつそり》として寝《ね》に着《つ》きさうだから、汽車《きしや》の中《なか》でもくれ/″\いつたのは此処《こゝ》のこと、私《わたし》は夜《よ》が更《ふ》けるまで寐《ね》ることが出来《でき》ない、あはれと思《おも》つて最《も》う暫《しばら》くつきあつて、而《そ》して諸国《しよこく》を行脚《あんぎや》なすつた内《うち》のおもしろい談《はなし》をといつて打解《うちと》けて幼《おさな》らしくねだつた。
すると上人《しやうにん》は頷《うなづ》いて、私《わし》は中年《ちうねん》から仰向《あふむ》けに枕《まくら》に着《つ》かぬのが癖《くせ》で、寐《ね》るにも此儘《このまゝ》ではあるけれども目《め》は未《ま》だなか/\冴《さ》えて居《を》る、急《きふ》に寐着《ねつ》かれないのはお前様《まへさま》と同一《おんなし》であらう。出家《しゆつけ》のいふことでも、教《おしへ》だの、戒《いましめ》だの、説法《せつぱふ》とばかりは限《かぎ》らぬ、若《わか》いの、聞《き》かつしやい、と言《いつ》て語《かた》り出《だ》した。後《あと》で聞《き》くと宗門《しうもん》名誉《めいよ》の説教師《せつけうし》で、六明寺《りくみんじ》の宗朝《しうてう》といふ大和尚《だいおしやう》であつたさうな。
作品:高野聖
作者:泉鏡太郎
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底本:「新編 泉 鏡花集 第八巻」岩波書店
2004(平成16)年1月7日第1刷発行
底本の親本:「高野聖」左久良書房
1908(明治41)年2月20日
初出:「新小説 第五年第三巻」春陽堂
1900(明治33)年2月1日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:砂場清隆
校正:門田裕志
2007年2月12日作成
青空文庫作成ファイル:
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