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高野聖その76
一|軒《けん》の山家《やまが》の前《まへ》へ来《き》たのには、然《さ》まで難儀《なんぎ》は感《かん》じなかつた、夏《なつ》のことで戸障子《としやうじ》の締《しまり》もせず、殊《こと》に一|軒家《けんや》、あけ開《ひら》いたなり門《もん》といふでもない、突然《いきなり》破椽《やぶれえん》になつて男《をとこ》が一人《ひとり》、私《わし》はもう何《なん》の見境《みさかひ》もなく、(頼《たの》みます、頼《たの》みます、)といふさへ助《たすけ》を呼《よ》ぶやうな調子《てうし》で、取縋《とりすが》らぬばかりにした。
(御免《ごめん》なさいまし、)といつたがものもいはない、首筋《くびすぢ》をぐつたりと、耳《みゝ》を肩《かた》で塞《ふさ》ぐほど顔《かほ》を横《よこ》にしたまゝ小児《こども》らしい、意味《いみ》のない、然《しか》もぼつちりした目《め》で、ぢろ/″\と、門《もん》に立《た》つたものを瞻《みつ》める、其《そ》の瞳《ひとみ》を動《うご》かすさい、おつくうらしい、気《き》の抜《ぬ》けた身《み》の持方《もちかた》。裾《すそ》短《みぢ》かで袖《そで》は肱《ひぢ》より少《すくな》い、糊気《のりけ》のある、ちやん/\を着《き》て、胸《むね》のあたりで紐《ひも》で結《ゆは》へたが、一ツ身《み》のものを着《き》たやうに出《で》ツ腹《ばら》の太《ふと》り肉《じゝ》、太鼓《たいこ》を張《は》つたくらゐに、すべ/\とふくれて然《しか》も出臍《でべそ》といふ奴《やつ》、南瓜《かぼちや》の蔕《へた》ほどな異形《いぎやう》な者《もの》を、片手《かたて》でいぢくりながら幽霊《いうれい》のつきで、片手《かたて》を宙《ちう》にぶらり。
作品:高野聖
作者:泉鏡太郎
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底本:「新編 泉 鏡花集 第八巻」岩波書店
2004(平成16)年1月7日第1刷発行
底本の親本:「高野聖」左久良書房
1908(明治41)年2月20日
初出:「新小説 第五年第三巻」春陽堂
1900(明治33)年2月1日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:砂場清隆
校正:門田裕志
2007年2月12日作成
青空文庫作成ファイル:
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《》:ルビ
(例)参謀本部《さんぼうほんぶ》
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(例)柳《やな》ヶ|瀬《せ》では
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(例)ばら/\と
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