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湖南の扇その34


作品:湖南の扇
作者:芥川龍之介



 僕は譚にこう言われた時、おのずから彼の長沙《ちょうさ》にも少ない金持の子だったのを思い出した。
 それから十分ばかりたった後、僕等はやはり向い合ったまま、木の子だの鶏だの白菜だのの多い四川料理《しせんりょうり》の晩飯をはじめていた。芸者はもう林大嬌の外にも大勢僕等をとり巻いていた。のみならず彼等の後ろには鳥打帽子などをかぶった男も五六人|胡弓《こきゅう》を構えていた。芸者は時々坐《すわ》ったなり、丁度胡弓の音に吊られるように甲高い唄《うた》をうたい出した。それは僕にも必ずしも全然面白味のないものではなかった。しかし僕は京調《けいちょう》の党馬や西皮調《せいひちょう》の汾河湾《ふんかわん》よりも僕の左に坐った芸者に遥《はる》かに興味を感じていた。
 僕の左に坐ったのは僕のおととい※[#「さんずい+元」、第3水準1-86-54]江丸《げんこうまる》の上から僅《わず》かに一瞥《いちべつ》した支那美人だった。彼女は水色の夏衣裳の胸に不相変《あいかわらず》メダルをぶら下げていた。が、間近に来たのを見ると、たとい病的な弱々しさはあっても、存外ういういしい処はなかった。僕は彼女の横顔を見ながら、いつか日かげの土に育った、小さい球根を考えたりしていた。



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底本:「昭和文学全集 第1巻」小学館
   1987(昭和62)年5月1日初版第1刷発行
親本:岩波書店刊「芥川龍之介全集」
   1977(昭和52)年〜1978(昭和53)年
入力:j.utiyama
校正:柳沢成雄
1998年10月20日公開
2007年2月11日修正
青空文庫作成ファイル:
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(例)広東《かんとん》

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